2022年5月8日、私はここにセミリタイアできる宣言をいたします。
「セミリタイアできる宣言」とは、実際に今すぐセミリタイアするわけではないけど、
本当に何もかも嫌になってしまった場合に、仕事を辞めてしまっても最低限の
アルバイトで生活できることを公式に宣言すること、です。
簡単に言えば、本気出せばできるし!宣言です。
これを行うことで、正式に潜在的セミリタイアラーとして認定され、
国内外で何か思い思いの活動することが認められます。
なぜ私が突如として宣言するに至ったか、経緯をご説明いたしましょう。
まずは、私の心の安定剤であるSBG(セルフ・ベーシックインカム・グラフ)
をご覧ください。
これは、私の持ちうる全資産からトリニティスタディ4%ルール準拠に基づいて
算出した潜在的不労所得11万円に、65歳以降は確定拠出年金、公的年金を加味した
今後人生で働かずして得ることができる収入を示します。
通称・やる気なしグラフ。
こちら、計算的には昨年末時点でほぼ同様の結果となっておりましたが、
株価史上最高値連続状態で瞬間的なものでもあったので、宣言を様子見していました。
が、ここ最近の株価低調の中でも労働収入によるカバーができたので、
安全圏・安定期・コンフォートゾーンに入ったと判断いたしました。
月に11万円あれば、私の生活レベルからして月5万円分くらいアルバイトできれば
良いし、もっと安い賃貸に引っ越せば月2-3万円分くらいでも十分なレベル。
よって、セミリタイアできる宣言、否、勝利宣言となりました。
ありがとうございます。
だがしかし。
セミリタイアする予定は現時点ではありません。
セミリタイアは手段であって、生きる上での目的は無く、
セミリタイアをした上で何かやりたいことが無いから。
これがつらいところ。
ただ、新卒入社以来15年くらい続けている仕事を
このまま続けるのもどうかと思っている状態で。
「生きるために働く必要がなくなった時、
人は人生の目的を真剣に考えなければならなくなる。」
この言葉に出会って以来、私は働くこととは何かを思い求め、
書物を読み漁っている状況です。そろそろ、悟り開いて賢者になれるかもしれません。
そもそも「退屈」とは何なのか。
便利な自動車を編み出したくせにあえて山登りをするのはなぜか。
自発的な苦しみであれば良いのか。(ということは、M最強説なのか。)
であれば、やはり、幸せとは、より多くの手段を取れることなのか。
謎が謎を呼ぶコナン君2時間スペシャル…。
完全こじらせ系です。
本日、私はセミリタイアできる宣言をしましたが、
これからも不眠不休で私がやるべきことを追い求めます。
そんなものそもそも無い説もうっすら感づき始めている今日この頃。