直近の資産が9,000万円を超えた。

昨年末に購入した米国半導体指数(SOX)の牽引が大きいところ。

自分で書いていても、なかなか現実味のない金額である。
投資を始めた頃の自分が聞いたら、かなり驚くと思う。
当時は、3,000万円くらいになったら人生が変わるものだと思っていた。
ワイングラス片手に夕日でも眺めているような自分を想像していた。
お金の不安から解放されて、細かいことは気にならなくなって、
他人にも優しくなって、人生を少し上から穏やかに眺めている。
そんな自分になっているのかなと、どこかで思っていた。
でも、現実はそこまできれいなものではなかった。
1億円までもう一息なところまで来ても、私は別にワイングラス片手に
夕日など眺めていない。
むしろスマホ片手にSNSを眺めて、よくわからないニュースやポストに
勝手にイライラしている。
資産形成はうまくいった。
けれど、自分という人間が自動的に立派になったわけではなかった。
今日はそんな徒然草。

お金には、間違いなく意味があった
最初に書いておきたいのは、お金に意味がないとはまったく思っていない
ということだ。
むしろ、お金にはかなり意味がある。
資産が増えたことで、昔よりも将来への不安は軽くなった。
何かあっても、すぐに人生が詰むわけではない。
転職や休職、セミリタイアの選択肢も、以前より現実味を帯びてきた。
会社で嫌なことがあっても、昔ほど「ここにしがみつくしかない」とは
思わなくなった。
老後の不安も、ゼロではないが、かなり薄まった。
これは大きい。
節約し、投資を続け、長期で資産を積み上げてきたことには、
間違いなく意味があった。
もし何もしていなければ、今よりもっと不安で、もっと会社に依存して、
もっと追い詰められていたと思う。
お金は人生の防御力を上げてくれる。
これは本当にそうだと思う。
ただし、人生の防御力が上がったからといって、
人間の器まで勝手に大きくなるわけではなかった。
いまだに数千円の買い物に抵抗がある
資産が増えても、急にお金の使い方が上手くなるわけではない。
いまだに、一度に数千円の買い物をするときに抵抗感がある。
数千円である。
資産全体から見れば、本当に誤差みたいな金額だ。
それなのに、いざ買うとなると考えてしまう。
「これは本当に必要なのか」
「今買わなくてもいいんじゃないか」
「この数千円を投資に回せば、将来もっと増えるんじゃないか」
こういう思考が、いまだに頭をよぎる。
もちろん、無駄遣いをしないこと自体は悪いことではない。
節約と投資を続けてきたからこそ、今の資産がある。
この慎重さは、自分を守ってきた武器でもある。
ただ、最近思う。
これは本当に堅実さなのか。
それとも、ただの心の貧乏性なのか。
必要なものや、少し生活を豊かにしてくれるものにすら、
過剰にブレーキを踏んでしまう。
楽しむためのお金を使うと、どこかで罪悪感が出る。
おそらくいくら資産が増えたとしても、数千円にびびる。
その事実が、なんとも自分らしくて、少し情けない。
お金が増えれば、心にも余裕ができると思っていた
昔は、お金がないから余裕がないのだと思っていた。
もっと資産が増えれば、自然と心も穏やかになる。
将来不安が減れば、人にも優しくなれる。
経済的な余裕ができれば、細かいことにイライラしなくなる。
そんなふうに考えていた。
でも、どうやら人間の器は、投資信託のように自動積立では増えてくれないらしい。
小さなことで普通にイライラする。
他人の言葉に引っかかる。
株価や為替が動けば、心も揺れる。(上でも下でも少なからず)
お金は増えたのに、自分の機嫌はまだまだ外部環境に握られている。
SNSを見すぎて、勝手に荒んでいる自覚がある
最近、自分でもよくないなと思うのが、SNSを見すぎていることだ。
ニュース。
コメント欄。
誰かの強い主張。
誰かへの批判。
対立を煽るような投稿。
極端に見える意見。
そういうものを見ていると、ものすごくイライラすることがある。
本当は、自分の生活に直接関係のない話も多い。
画面を閉じれば、それで終わるような話も多い。
それなのに、わざわざ覗きに行って、勝手に怒っている。
たぶん、SNSの飲み過ぎなのだと思う。
酒を飲み過ぎると体に悪いように、SNSを飲み過ぎると心に悪い。
しかも厄介なのは、怒っているときには、自分が正しい側にいるような
気分になることだ。
自分は現実をわかっている。
自分はおかしなものに腹を立てているだけだ。
自分はまともな感覚を持っている。
そう思いたくなる。
でも、本当にそうなのだろうか。
ただ単に、自分の不安や不満を、わかりやすい怒りに変換しているだけではないのか。
日々の疲れや閉塞感を、画面の向こう側にぶつけているだけではないのか。
そう思う瞬間がある。
1億円に迫ろうかという人間が、ワイングラス片手に夕日を見るどころか、
SNSを見ながら勝手に怒っている。
これが現実である。
かなり情けない。
あかの他人にも、身近な人にも、優しくできていない
正直に言うと、自分は身近な人だけに優しくできていないわけではない。
あかの他人にも、たぶん優しくできていない。
自覚はある。
もちろん、表面上は普通に振る舞っているつもりだ。
社会生活を送るうえで、最低限の礼儀は守っていると思う。
でも、内側では冷たいことを考えている瞬間がある。
マナーの悪い人を見て、心の中で憤りを感じる。
自分と違う考え方の人を、反射的に拒絶する。
自分にも弱いところは山ほどある。
未熟なところも、だらしないところも、情けないところもある。
それなのに、他人の弱さにはやたら厳しい。
身近な人に対しても同じだ。
疲れているとき。
余裕がないとき。
自分の思い通りにいかないとき。
本当なら大切にすべき相手に、雑な態度を取ってしまう。
後から考えれば、もっと優しく言えばよかったと思う。
でも、その場ではできない。
資産の増加という今までの推移だけ見れば、少しは人生をうまくやっているように
見えるかもしれない。でも、人に優しくできていない瞬間があるなら、人間としては
全然たいしたことがない。
資産形成はうまくいった。
でも、人間形成はまだまだ失敗だらけである。
心の貧乏性は、資産額では治らない
お金で解決できるものと、できないものがある。
お金は生活の土台を強くしてくれる。
選択肢を増やしてくれる。
将来不安を薄めてくれる。
これは間違いない。
でも、お金は人間性までは磨いてくれない。
心の狭さ。
不機嫌。
承認欲求。
ケチくささ。
他人への冷たさ。
身近な人への甘え。
感情の処理の下手さ。
こういうものは、資産額が増えたからといって自動的に消えるわけではなかった。
若い頃は、お金はなかった。
でも、根拠のない未来があった。
まだ何者かになれる気がした。
これからいくらでも変われる気がした。
年齢を重ねると、そういう曖昧な希望は少しずつ薄れていく。
体力は落ちる。
疲れは抜けにくくなる。
新しいことを始めるのが面倒になる。
守るものが増えた分、失う怖さも増えた。
若い頃はお金がなかった代わりに、未来を雑に信じることができた。
今はお金がある代わりに、未来を妙に現実的に見てしまう。
この感覚が、少し寂しい。
次に積み立てるべきもの
これからも資産形成は続ける。
1億円も目指す。
投資もやめない。
お金のことも考え続けると思う。
でも、それだけでは足りない。
次に積み立てるべきものは、金融資産だけではない。
機嫌の良さ。
他人への想像力。
身近な人への優しさ。
小さなお金を気持ちよく使う力。
デジタルデトックスする力。
休日を楽しむ力。
健康。
人間関係。
自分の感情を処理する力。
こういうものも、意識して積み立てないと増えないのだと思う。
証券口座の数字より、自分自身の中身を少しでもマシにしていきたい。
これが今の自分の最大の課題。













